09「コメント・メメント・ウィスパーメン」公演記録・細馬宏通氏による批評

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写真:前澤秀登

まったく関係ない話から始めて恐縮だが、わたしはいま、33年に一度行われるという大祭の調査に来ている。33年に一度の祭りにおいていちばん問題となるのは、そんなに長い間をおいて、どのようにして伝統が伝承されているのか、ということである。もちろん誰もがビデオカメラや携帯で動画を撮影できる現在ならば、いくらでも映像によるアーカイヴを残すことができる。しかし、33年前、66年以上前となるとどうか。山車やら装束やら、ものが残っていればよいが、そうでない場合は、言い伝え、すなわちことばによって伝承するより他はない。ことばから想像されるものはさまざまな可能性に開かれており、さまざまな形をとりうる。その結果、たとえば三トントラックのシャーシの上に鉄骨を溶接した山車というものが出来上がるのである。それはもちろん、昔にはありえなかったものだが、しかし、ことばで伝えられていることを最低限守り、それを実現するための方策を現在の視点で練ったならば、トラックのシャーシに鉄骨なのである。そして、この、このことばに従いながら作られた現代的な山車によって祭りは盛り上がるのである。

映像も音声もデジタルで伝承されうる現代において、映像や音声が、あたかも昔の祭りのごとく、ことばによって伝承されたとしたら、いかなることが起こるか。コア・オブ・ベルズの9月公演は、まさしくこのような事態、行為をことばで記し、その記されたことばに基づいて行為を妄想したときに起こる問題を考えさせるものだった。

山形育弘がやけに親しげに、観客に告げるこの公演のテーマは「心霊現象の映像にコメントをつける仕事をしている男が、スタジオで陥ってしまったある無間地獄」。わずか二分間の映像にはなるほど、初見ではぎょっとするような心霊が映っているのだが、それに対して、まず山形育弘がぶつぶつとコメントを推敲している。やがて、そのぶつぶつが、ちょっとしたナレーションとして練り上げられると、吉田翔がそのナレーションをとがった声で言い立てる。さらには、この吉田のコメントと同じ字幕が画面に現れ、さらにそこに元の心霊映像がつく。ベースの會田とドラムの池田と山形、瀬木俊の無言のコントがつき、さらには瀬木のギターが加わるころには、吉田のコメントは(それ自体は全くトーンが変わらないにもかかわらず)リリックのように扱われて、バンドの三人があたかもそのリリックの口調をなぞるように演奏を始め出す。

もしこのまま、心霊現象の映像が伝承されるとしたら、まがりなりにもその内容に沿った演奏が続くはずである。しかし、映像は心霊現象から五人の過去の演奏映像(とコント)へと差し替えられ、やがてその映像すら失われ、コメントのテキストだけが字幕となって表示される。こうなると、もうコメントの一人歩き、もともとの映像にあった身体性は剥奪され、そこにことばの伝承に必然的に入り込む。元の映像のおおよその時間枠組みだけを残して、眼前の演奏はますますオリジナルからかけ離れていく。

実は記譜に頼る音楽というのは、伝承の過程に似たような運命を頼ってきたに違いないのである。誰かの名演奏が記譜される。記譜を頼りに誰かが演奏する。その演奏をもとにまた記譜が行われる。その意味では、この日のコア・オブ・ベルズの演奏は、伝承によっていかなる新しい音楽を奏でる身体が現れるかを、ほんの1時間あまりでシミュレートしたという、底抜けで希有壮大な試みであった。

公演の終盤では、山形育弘のナレーションが珍プレー好プレー集の口調で、野球のボールの行方を追うかのようにメンバーの名前を思いつくままに次々と呼んでいき、カメラがとまどいながらそこで呼ばれた名前の人物へとカメラのアングルを変化させた。ナレーションということばによって、カメラのアングルが変化させられる。ここにいたって、「生身の身体→ナレーション」という関係は、「ナレーション→生身の身体」という関係へと反転した。

このように彼らのパフォーマンスの構造は、身体→ことばの反転という、ある意味で周到で図式的なものであった。にもかかわらず、その全編は、図式性からほど遠いきわめてスットコドッコイに底抜けている。ちょっとちょっとちょっとちょおちょおちょお、向こうから突っ込んできてんだよ、思ってんだどけってんだ、いーよいしょーっ! 音楽を模そうとしてときに繰り出される促音や撥音や長音はことばを捻転させ、捻転されたことばから編み出される音楽はあちこち脱臼しながら凸凹のリズムとなり、ままままと詰まり、スバらしとあっけなく切り捨てられる。これは図式か?いや、祭りなのだ。

細馬宏通
滋賀県立大学人間文化学部教授。専門は会話とジェスチャーの分析、 19世紀以降の視聴覚メディア研究。著書に『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』(新潮社)、「今日の『あまちゃん』から」(河出書房新社)、『うたのしくみ』(ぴあ)、など。バンド「かえる目」では作詞・作曲とボーカルを担当